@多くの文献では、ウルシの原産地を中国・インド・中央アジアに求めている。この地域は照葉樹林文化圏に属することから、ウルシはこの文化を代表する有用植物軍の一つとされている。ただ、ウルシは落葉樹であるので(常緑樹)としては分類できない。しかし、ウルシがイネなど他の農作物とともに、その利用地域を広げていったということは用意に想像できる。
青森県八戸市の是川遺跡、同西津軽郡木造町の亀ヶ岡遺跡から出土したウルシをぬられた土器などから、縄文前期すでに日本でウルシが利用されていたことがわかる。

さらに藍隊胎漆器(つるや樹皮・竹編みの器に漆を塗ったもの)などにみられる高度な漆工技術が存在していたことなどを考え合わせると、ウルシが中国・インドから渡来したというよりも、照葉樹林地帯が北方にのびていた時代、すでに東北地方にもウルシが自生していたのでは、と考えることが自然である。
          (「津軽漆塗」佐藤武司・橋本芳弘 著、昭和62年7月31日出版)
A縄文時代、青森県に漆を使った優れた漆文化があったことは、八戸市是川遺跡、木造り町亀ヶ岡遺跡、青森市三内丸山遺跡などから多彩な漆工品が多数発見されたことによってよく知られている。しかし、縄文時代の漆文化は、本県に限ったものではなく、全国各地にも存在していた。
縄文に続く弥生古墳、さらに古代・中世においても、木材・樹皮・繊維・皮革・金属・紙などの材料補強、形状安定といった実用性と装飾などのために漆を塗った品物は多い。
このような、漆文化については、正倉院御物や多賀城漆文書など多くの遺物を通して、全国で学ぶことができる。

本県の縄文時代の漆を扱う技術が、耐えることなく継続して、今日の津軽塗へ発展したのかどうかは史料に乏しく、ここに書くことはできないが、津軽塗のはじまりとするには無理がある。

しかし、近年の発掘調査によって、木地師の存在や多様な職人の活動が想定されるようになってきたので、今後、津軽の漆文化がさらに明らかになると考えている。
  (「あっぱれ!津軽の漆塗り」佐藤武司 著、平成17年3月15日出版)