津軽統一による戦で亡くなった人々を、
敵味方の区別なく供養しようと3代藩主信儀が着工、
11年の歳月を経て4代藩主信政により1667年に完成
真言宗大円寺所属だったが、1872年の神仏分離の際に
大円寺は大鰐町藏館に移り、その後を最勝院が譲り受けた
高さ31.2メートル、東北一の美塔と讃えられ
2003年には335年振りにご本尊を奉安する
入沸開眼供養式が行われた。

最も勝つと記す最勝寺では、必勝のお守りなども充実
卯生まれの一代様で、近隣の人々には
”大円寺の五重塔”と呼ばれ、親しまれている。